2015年5月27日水曜日

同級生を送る

心理カウンセラー メンタルサポートneoの 丸林なおみです。

同級生が短い生涯を終えた。
昨日訃報を聞いたとき、悲しみと同時に、なんで私は気づかなかったのだろうと、
自分を責めた。
彼女は、ずっと病と闘っていた。
そのことを知ったのは9年前。

小学校に入る前からの幼馴染み。けれども、社会人になってからはほとんど会うこともなく、
高校の同窓会を境に、同級生と一緒に時々会うようになった。
それでもそれぞれの仕事、生活があるのだから、そうそう会うことはない。
仕事の帰りのバスが偶然一緒だったときは、他愛のない話をしていた。

最近、彼女と会わなくなった。この時間帯のバスには乗ってくるかも・・・
ちょっと、気にはなった。けれども、また会えるだろう・・・

そして訃報を聞いた。
なんで、気になったときにメールでも、電話でもしなかったんだろう。
私は、ちょっと気づいていたのに、気になっていたのに・・・
悲しくて涙があふれた後、彼女に謝った。

心理学では、愛する人を失った時など「悲哀の仕事」を通して、心理的に回復していくと考える。
カウンセリングで、「悲哀の仕事」のお手伝いをする事もある。
失った悲しみを十分に感じた後に、この事実を受け止め、そして未処理の感情を感じ消化していく。故人に対して思っている感情を出してもらうのだ。悲しみはもちろんだが、そこには不安や怒りや罪悪感などいろいろな感情が出てくる。
全ての感情を感じ消化した後に、故人に対して言いたいこと伝えてお別れをする。
こうして、心理的なバランスを回復していくのである。

ご遺族の方たちにとって、彼女との別れは、早々にできるものではないと思う。
「悲哀の仕事」はゆっくり時間をかけてやっていっていいと思う。
特に、長年一緒にいた家族にとって、そう簡単にお別れなんてできるはずはない。
ゆっくり、ゆっくり、お別れをしていかれることだと思う。

私の話に戻るが、ただただ悲しいと感じるままに感じたあと、
私は車を運転しながら、彼女に謝った。そして、思いつくままのことを彼女に話していた。
少し、心が落ち着いた。
お通夜では、「ごめんね。ごめんね・・・・・」と言った。
ご主人やお母さんと彼女の思い出を話した。

葬儀 彼女の会社の方がたくさん来られていた。会社の方の弔辞を聞いて、心が動いた。
私は、何を思いあがっていたのだろう。彼女には、家族がいる。彼女の世界がある。
私は時々偶然に会うだけの幼馴染み。そんな私に何ができたっていうんだろうか。
何もできなくて当たり前。彼女には、こんな素晴らしい人たちがいたんだ。こんな人たちに囲まれて生きてきたんだ。私は、何を一人で思ってたんだろう。私に何かできるわけはない。
そう思うと、とても心が楽になった。素直に彼女とお別れができると思った。
もちろん、彼女が亡くなった悲しい気持ちは、変わらない。
でも、彼女は短かったけれど、いい人に囲まれて生きてきたんだな~と思った。
最後の焼香のとき、私は「ありがとう。ゆっくり休んでね」と彼女に言った。

そして、棺の中の彼女の周りに花を供えた。
花に囲まれた彼女は、本当にきれいだった。





2015年5月20日水曜日

続けること

心理カウンセラー メンタルサポートneoの 丸林なおみです。

ブログを始めて3か月。
投稿数はこれまで10回。
客観的にみて、これは少ないのでは・・・と思う。
「きどらない・・・」と言いつつ、気取りすぎて書けないのでは・・・と思ったり。
書きたいことがあっても、なぜか気負ってしまって、結局書かない。
ということは、自分が言いたいことが伝わらない。
ブログを始めた意味がない。
せっかく「きどらない・・・」にしたのだから、気を抜いて書いてみようと思った。

・・・で、今日のタイトル「続けること」
私の好きな言葉で、「夢はあきらめない限り、実現する」というのがある。
いろいろな言い回しはあるかもしれないが、とにかく夢は実現するということ。
途中であきらめるから、実現しないだけ。
なんか自己責任ぽくって大好きだ。
夢を描くことができれば、それはかなう。
それでは、夢を描けばいいのだ。それがかなうまでやり続ければいいのだ。
とても納得がいく。

私が行っているカウンセリングは「なりたい自分になる」これを目指す。
目指すというと固くなるけれど、
今の自分から、描いているなりたい自分に変わる。変われる。
「あなたは、何を変えたいですか?」
ここから、ワーク~カウンセリングは、始まります。
1回のワークで100%変わることは難しいかもしれなけれど、
なりたい自分をあきらめない。
あきらめない限り、なりたい自分になっています。

私たちは、ただただ、そのお手伝いをします。

2015年5月16日土曜日

何かを言ってあげようなんて、思わなくていい。

心理カウンセラー メンタルサポートneoの 丸林なおみ です。

メールでの会話。

「ありがとう。嬉しいです。」

この言葉だけを、返した。
相手に何かを言おうと思ったけれど、言葉が見つからなかった。
感じたことだけを返した。

「なんか、力湧いてきた・・・」って、返事が来た。

それだけのこと。
けれども、感じたことだけ、ただそれだけを伝えればいいんだ。と改めて思った。
相手に何かを言ってあげようなんて、思わなくても・・・


私が行っているカウンセリングは、日本では、まだあまり知られていない。
ましては、メンタルサポート研究所グループの療法は代表の倉成央先生のオリジナルでもある。
感情表現があまり得意でない日本人の気質に合わせて、感情に焦点を当てたカウンセリング。

一般にカウンセリングと聞くと、どんな印象をもたれるだろうか。

ただただ、話をきいてくれる。これは傾聴型と言われる。
何かアドバイスをしてくれる。これはアドバイス型。
私が行っているカウンセリングは、傾聴はするがアドバイスは一切しない。
自分で解決していく問題解決型と言われる療法だ。
カウンセラーは、クライアント(相談者)が、自ら解決をする手伝いをする。

アドバイスは一切しないということは、カウンセラーの考えを言わないということ。

カウンセリング中は、そうしているはずなのに、普通の会話では、そうはいってないようだ。
「そうだね、無理しなくてもいいよ。」
「話、聞かなくてもいいんじゃない。」
そうすると
「アドバイス、ありがとう。」って、返ってくる。
あー、やってしまった。

無理して、言葉はかけなくていい。言葉をさがさなくていい。
相手の思いを、ただただ受け止める。
「そう、思うんだね。」
「あなたは、そんな風に感じてるんだね。」
同じ気持ちになんて、なれるわけがない、だって違う人間だから・・・
相手の思い、気持ちを受け止めるだけ。

そして、できたら相手が気持ち~本物の感情を~を感じられるように手伝おう。
それはとてもbetterな事。








2015年5月5日火曜日

旧友と波佐見町へ

心理カウンセラー メンタルサポートneoの 丸林なおみです。

東京から帰ってきている旧友と、長崎県波佐見町の陶器市へ出かけた。
私は、佐賀県唐津市に住んでいて、ここには唐津焼という立派な焼物が存在しており、
「やきもん祭り」と称してイベントも行われている。
なのに、私は波佐見町に出かけたのだ。

唐津焼はとっても好きなのだけど、焼物として好きなのであり、
「やきもん祭り」なるものよりも、波佐見町の陶器市のほうに魅力を感じる。
波佐見焼が特別好きなわけではない。
たまたまテレビで波佐見町を見て、昨年初めて波佐見町に行ってみた。
行ってびっくりしたのだ。
小さな町に、驚くほど人が来ていたからだ。
さすが、デザインの波佐見焼だ。
企画化された商品のアウトレットが買えるとあれば、人も集まってくるのだろう・・・
陶器以外の生活雑貨品にも、思わず手を伸ばしたくなる。

訪れた人を迎えてくれる町のように思った。
外から来た人を、あたたかく迎えてくれてるような感じがした。
町自体が、とても楽しそうに見えた。
もちろん、これは私の個人的な感想。

今年、ふらーっと一人で行ってみようかと思っていたところに、
旧友が帰ってくるということで、二人で出かけた。
お互い好きなように、好きなものを見て、好きに時間を過ごした。

あー、やっぱり行ってよかった。
今度は、ど平日に行ってみようと思う。


手描きのマグカップを購入